このサイトは主に長山一夫の著書、仕入覚書を掲載するものです。
トップページへ

外房の特大マダカアワビを訪ねて(その1)
外房の特大マダカアワビの現状 「(株)傳之丞」

千葉県新勝浦漁協・浜滑川支所 平成17年5月1日,2日

(株)傳之丞訪問の目的
 今回の勝浦漁協行は、この数年著しく入手しにくくなって来ている外房の特大マダカアワビの現状を識ることと、新たな仕入れルートの開発のためであった。

千葉県勝浦漁協にて
5月1日(日)
 午後2時一寸過ぎに千葉県新勝浦漁協に到着。本日の漁協は日曜の休業日にあたるため、女房とのんびり薄曇の漁協岸壁の散歩を楽しむ。家族連れ達が釣りをしていた。どの釣人もまだボウズで、釣ることよりもただ糸をたらしていることを楽しんでいるようだった。予想通りに釣れないとこぼしながらも、たまたま15cm程の白ギスを釣り上げた男性に江戸前ずしの昆布締めのやり方を伝授する。かなり真面目に訊いてくるのでかなり真面目な伝授となった。

 漁協の片隅でヒジキを干している漁師と雑談をする。新勝浦漁協の準会員とのことだった。若い頃、トラックの運転手をしていたので、魚を運んで築地市場へもよく行ったもんだと言う。「水槽に入れた活け込みのタコは、市場に到着してから検量するといつも少し増量しているので、それが結構な小遣い稼ぎとなった。ある時すっかり味をしめ、途中のガソリンスタンドで水道水をホースで生簀の中に入れ、インチキ目方の増量をし、とぼけて築地市場に納めたこともあったのだが、そのうち手口が発覚してしまい、大問題となった」と、とぼけた告白もあった。産地出荷業者達の裏切り…近年の築地市場でのアワビの惨状

「築地市場で仕入れる最近のアワビは、異常なほどに水を飲み込み、口を庖丁で切った瞬間に、かなりの量の海水を吐き出してくる。殻をはずした身肉もびしょびしょの状態のため、布巾でしっかりと押さえ、水分を取り除かなくてはならない。さらに一切れ一切れに切り付けたアワビを刺身・握りにする前に、もう一度しっかりと布巾で水分を拭き取らないと、皿に水分が滲み出てきたり、シャリがビチョビチョになり握りにならないといった酷い状態となっている。しかも使い残りのアワビを深さのある器に入れておくと、さらに又、大量の海水を吐きだしてくる」と準組合員の漁師に話すと、「当時は活け込みのアワビも大量に運んだのだが、途中で氷を入れると水温が下がり海水濃度も薄くなるために、アワビが海水を大量に飲み込んで目方が増え儲かったものだ。流通業者の中の誰かが、そのテクニックを使っているのではないか」との答えだった。

 これは、20年以上も昔、築地市場のダメな仲買人達の一部が活け魚の目方の増量に使った卑劣なテクニックであり、当時も大問題となったのだが、最近また同じことが繰り返されているのだ。あるいは又、幾日も仲買人の生簀の中で売れ残ったアワビが、築地市場での濃度のいい加減な海水を結果的に大量に飲み込んでしまうことも一因となっているのだろう。
 とにかく、最近の水産業に携わる業者達のモラルの荒廃には、かなり酷いものが多々見受けられる。

 産地荷受業者によって築地市場に出荷されるアワビ、赤貝、トリ貝、ミル貝等の貝類が、重量切れ、傷物の混入、塩水濃度・水温調節による目方の不当な大増量、薬品の使用等、目に余る行為にさらされている。魚介類のプロとしての流通業者達の誇りは何処に行ってしまったのだろうか。

 バブル崩壊後、じわじわと最悪の状態に陥ってきた築地市場は、平成16年、17年とさらにその状態を悪化させてきている。そのような状況の中で、アワビも赤貝もトリ貝、ミル貝も、貝類の全てが大量に水を呑み込み、水浸しの状態に陥ってしまっていることがもう当たり前の事実となってしまった。原因追求をルーズにし、ずるずると来てしまった結果がこの有様なのだ。あまりの酷さに、当店では昨年度の生鮮でのアワビの使用量を極端に減らしたほどであった。しかし、そろそろアワビの季節に入ることだし、もう一度強硬に再点検し、今年こそ、その不当な実態をあばき出さなければならない。

…その後の流通業者総点検の中で、やはり産地出荷業者達の不当を上げる声が多かった。海水の中に氷を入れると10%ほどの増量となるのだと言う。傳之丞の説明では活け込みアワビの水切れの量は本来5%位とのことであり、大変な目方の増量となっていることになる。すし屋のクレームが仲買人を通し、築地の荷受会社によって産地の業者に改善要求とならなくてはいけないのだが、アワビの漁獲量の激減は、築地市場の荷受けにとっても大問題で、アワビをより多く集荷するための競争が激しく、産地出荷業者達に文句が言えないのが現状なのだという。なんと言う愚かなことが起こっているのだろうか!!

大雨後の魚介類の取扱い
 産地の業者の間では、「大雨が降ったときに獲られた魚介類には手を出すな」という言い方がある。「塩分濃度の薄まった海で獲られたものは、直ぐに上がってしまう危険性がある。また築地市場で供給される蛇口から出る海水は、浅場の海から引いて殺菌処理をした海水であるために、塩分濃度が雨や気温の変化と共に簡単に大きく左右される。養殖のタイは築地の海水の中では2日間も生きられない」と言われる。だから仲買人達は高価ではあるが海水魚介類専門の別注の塩を使い、最適な塩水濃度に調節することを重要な仕事としている。だが一度飲み込まれた海水は決して吐き出されはしないのだと言われる。

  夕方近くになり、今夜宿泊の臨海荘から自転車を借り、勝浦の町を見学する。外房で最も栄えている漁港の港町は、予想以上の範囲に広がりを見せ、商店数の多さに驚かされる。隅から隅まで隈なく走り周り、方向音痴の癖が出て迷子になりながらも、今夜の夜遊びのアタリだけはしっかりと付けて来た。昼間の漁協前でヒジキを干していた準会員の漁師がやっていると言う飲食店にも立ち寄ることになった。

5月2日(月)
 午前7時10分。新勝浦漁協ではもうすでに入札が始まっていた。近海鮮魚の産地荷受けであるシメイチの社長目羅洋氏に、入札の合間を縫ってセリ場でお話を伺う。「本日のカツオ船の入港は100トン級の大型船が17隻、全て一本釣り船で、カツオの全入荷量は300トン程で量が多いほうだ。しかし今年はまだ水温が高いために脂の乗りが少なく魚体も小さめで、もう一つ値が付かない」と言う。今年は黒潮の大蛇行のために、高知から和歌山にかけては既に大不漁となり、休業する漁師が続出していると言う。外房最大の取扱高を誇る勝浦漁港は、サバからアジ、アジからカツオへと主役となる入荷取扱い魚の大きな変遷を経験してきている。今後、もしもカツオの大不漁に見舞われるようなことがあると、漁協にとっては大打撃となることだろうと言われる。

第58福徳丸 宮崎県南郷町
栄吉丸 高知県大方町
第八新漁丸 高知県中土佐町
第151明神丸 高知県佐賀町  他13隻。

 全て一本釣り漁の漁船なり。現在の主漁場は御前崎沖近辺だと言う。
 本日は波高く時化のために、地元の漁師による釣り漁、刺し網漁等の出漁は一切無し。アワビは5月1日から解禁だが、まだ時化で漁が出来ない。サザエ、伊勢エビもまだ解禁前で、現在の漁協の盛況は初ガツオの入荷によるもので、今日はこのまま12時頃まで延々とカツオの入札が続くのだと言う。カツオ以外で最近の漁獲量の最多を記録している主役はキンメダイで、他にヤリイカ、スルメイカ、アワビ、ヒラメ、マコガレイ等があると言う。釣り漁と刺し網漁が主体となる。新勝浦漁協・浜滑川支所 「(株)傳之丞」

 午前9時。カツオの他には目ぼしい魚の漁獲が全くないため、勝浦漁協の取材を早々に切り上げ、今回の旅の目的である新勝浦漁協・浜滑川支所在の「傳之丞」に、特大マダカアワビの取材に出かけることにした。「傳之丞」は外房でアワビを扱う大手産地荷受けの一つである。タクシーで約15分、「傳之丞」では岩瀬博幸社長が気さくに出迎えてくれた。

 御宿岩和田漁協の「三印」、夷隅東漁協大原の「丸大一」と外房のアワビの代表的な産地荷受け業者達を次々と見学に行った事があるのだが、「傳之丞」の訪問は今回が初めてとなる。アワビ・サザエを入れる大きな生簀場の見学の後、事務所に案内される。岩瀬社長は「今日は暇で一日中時間が空いているんだ」と優しい心使いをしてくれた。

 新勝浦漁協の組合員50人ほどの平均年齢は63歳位。ほとんどが年金を貰いながらの漁で、小さい漁船で伊勢エビ・サザエなどを獲っている。漁協は現在6億もの赤字を計上し、人員整理等によって経営の合理化を計っているという。漁協でのマダカアワビは800g以上を大貝と呼び、マタとして区別し、以下はメガイアワビと一緒にされてメガイとして取引される。クロアワビは600g以上を大グロ、以下を中グロ、400g以下を小グロと称する。

今回訪問の最大の目的である特大マダカアワビについての質問を傳之丞にぶつけてゆく。

問い……「東京の高級すし店及び料亭で、アワビの酒蒸し・塩蒸し、ステーキ等に用いるアワビは外房、特に大原産の特大マダカアワビを最高級品として評価しているのだが、最近はその最高級品、特大マダカアワビのビワ貝(特マタのビワッカイ)がほとんど入荷して来なくなっている。何故か?」この質問は、かつて誰も教えてくれなかった意外な回答を導き出すことになった。

答え……大原沖のアワビの宝庫、「器械根」について
「大原ではもう15年ぐらい前から正式には特大マダカアワビの最高級品はほとんど獲られていないのではないか。大原の特大マダカアワビがなぜ最高級品として名を轟かせたのかと言うと、大原の12キロくらい沖合に、「器械根」と呼ばれる広大な暗礁群が広がっている。この器械根はアワビの大群生地で、クロアワビ・メガイアワビと共に、アワビの種類の中では20メートルからの最深場に生息する良質な最高級のマダカアワビが、大量に生息する宝庫であった。
  器械根でのアワビ漁は素もぐりの海女さんや海士によるものではない。明治18年に発見されて以後、ヘルメット式ゴム衣の潜水器を使用しての潜水漁によって行なわれるアワビ漁は、乱獲と規制、密漁との戦いの中で、絶望的に資源を枯渇させていった。明治19年頃、潜水器一台で、1日230キロものアワビの漁があったものが、平成6年頃には1日29.8キロ平均と、約1割強に激減してしまった。漁獲量の減少と共に、大原漁協では昭和61年に長年許可されて来た4隻の潜水器械船を3隻に減少。平成5年には2隻に、平成6年には当時まだ操業していたアグリ網漁の網の手入れと処理のためとして、ただ1隻だけの操業許可のもとに、5年間の禁漁期を設けた。しかし漁獲量は戻らず、平成10年にはあらためて4隻全ての操業を再度中止し、器械根での操業は全面停止となった。
  平成6年以降では、アグリ網漁の器械船等が獲ったものが大原産として密かに出回ったのではないだろうか。しかし、平成10年のアグリ網漁の廃業はアグリ網漁のための器械船も含めての全面操業中止となった。その後、これらの4隻の器械船は老朽化のために全て廃船となり、今では大原(夷隅東漁協)の器械船は全く存在しなくなってしまった。器械船の復活は投下資本が高く付き過ぎ、よっぽどのアワビ漁獲量の復活が無い限り今後には有り得ない。だからこの頃から20メートルもの最深場の器械根で獲られていた大原産の特大マダカアワビの最高品級はほとんど消えてしまったはずなのだ」

御宿岩和田沖の真潮根
「しかし器械根の一つでもある、岩和田沖7キロにある真潮(マシオ)根では、まだ操業が細々と継続されている。御宿岩和田漁協にはまだ深場に潜るための器械船が1隻操業しているからだ。だから最近の最高級特大マダカアワビの入荷は御宿岩和田漁協のものが中心となっている。しかし、大原も岩和田も、最近では遊漁船によるオキアミの撒き餌の公害が酷く、海底には撒き餌が大量に堆積し、アワビが捕食する昆布が成長出来なくなっている。オキアミはたんぱく質が豊富なために、分解され難いのだそうだ。そのためにマダカアワビ・クロアワビ・メガイアワビも含めて漁獲量のさらなる激減を見せているのが現状だ。この遊漁船による撒き餌は長年にわたり大問題となっているのだが、漁獲量の少なくなった漁師達にとっては遊漁船の収入は大きく、一概に禁止することが出来なくなっている」と言う。

参照 「房総アワビ漁業の変遷と漁業法」大場俊雄著

干しアワビと生鮮アワビ
「この数年、アワビの浜値が高騰し、産地荷受けの間でも採算がとれにくくなっている。特に特マタは昨年度では浜値を最高22,000円まで付けたことがあった。中国の経済発展効果で、干しアワビがさらなる高値を付けるようになり、良質なアワビがその高値に引きずられ、加工用に回されることが多くなった。

 傳之丞では昨年から干鮑の加工を始めた。そのために、地元の房総、常磐ものの鮑から三陸のエゾアワビまでを広範囲に買い付けていった。昨年度、600g以上の大グロアワビに大量の買いを入れ、中グロアワビとの値段の格差を逆転させたのは傳之丞の仕業だった」と言う。「大小込みの大グロで12,800円の最高値を付け、800gアップのマダカは18,000円、最高値は22,000円を付けた」この大グロアワビの旨さは、かつて僕自身が体験し、認知したことであるが、アワビはサイズの大きい方が美味に決まっているのである。世間一般的には中グロアワビの方が美味だと言われ、値も中グロの方が高値なのだが、傳之丞は大グロアワビの旨さに気付き、大量に手当てをしていったのだと言う。

 しかし、「25度Cの水温になると針ほどの傷でも1日で簡単に腐ってしまうために、品質の選別が大切な仕事になる。中国の干しアワビは、日本の加工業者が太平洋岸の良質な国産のアワビで加工したもので、江戸時代にはもう日本の重要な交易品となっていた。日本海側のアワビは旨みに欠けるため加工されない。最近ではオーストラリア・アフリカのケープタウン産も加工されるらしいが、品質は著しく落ちる。

 干しアワビの加工後の歩留りは10%から11%となり、干しアワビの品質は色・艶・形によって評価される。三陸、千葉、九州ではそれぞれ加工方法が異なる。11月から12月に加工される三陸ものは湿度が低い時期のため腐りにくいが、千葉では入梅時期に加工されるために乾燥が難しく、腐らせないための高度の技術を要求される」と言う。
「アワビは4月頃から少しずつ肉が付き始め、梅雨明けと同時に素晴らしく身肉が太ってくる」
 かくして岩瀬さんから干鮑の取材をしている最中に、外房の特大マダカアワビについて、今までの僕の認識に大きな誤解があったことが判った。

長山一夫の長年にわたる大誤解
「干しアワビの加工は三陸から津軽海峡にかけてのエゾアワビが主流で、外房のマダカアワビ・クロアワビ・メガイアワビはほとんど使用されてこなかった。特に大原の特大マダカアワビはその極め付きの旨さにもかかわらず入札値の高さ故に、さすがの干鮑の加工業者達も手を出しかねる世界を持っていた。だから日本料理の世界、特に素材の旨さを最大限に、贅沢に生かすことの出来る江戸前ずしの世界の独壇場であった」と誤解していたのだった。干鮑は全ての種類のアワビを原料としていた。特に特大マダカアワビ、大マダカアワビ、大クロアワビの干鮑は貝柱が大きく、最良品は形も良く美味で、飛び切りの高値を付けているのだった。大サイズゆえに乾燥加工が非常に難しく、商品価値を残さないほどの失敗も多々あり、20%ほどの加工ロスは常に計上されると言う。

 マダカアワビの表面の青色と黒色の貝は、仕上がりの色気が悪いために除外されることが多い。マダカアワビのビワッカイと、メガイアワビは昔から使われていたのだそうだ。色が悪いもの、痩せているもの、ババ貝(大きいのだが老貝になってしまったもの)は振るい落され、市場に活けで出荷されるのだと言う。最近ではエゾアワビの青・黒、クロアワビの青・黒までも使用されるほどにアワビの漁獲量が激減している。だから近年、特大マダカアワビの最高品であるビワッカイの築地市場への入荷が極少となってしまったのは、最高級の干鮑加工用に、最高値で最優先に先取りされてしまうからなのだと言う。干鮑の異常な高値は日本の生鮮アワビ流通の世界に重大な影響を与えていたのだった。
  かくして外房の特大マダカアワビの現状を調べているうちに、干鮑の大きな存在が浮かび上がってきた。干鮑の世界を知らずして鮑の世界を語ることが出来ない状態となっているのだ。ならば、中国で最高級の干鮑の加工業者として知られる青森県大間の干鮑加工のトップメーカー、(株)熊寛の熊谷等さんに電話だ。等さんとは白ウニを通しての10年来のお付き合いであった。

↑『増補』のその後の目次へ