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行徳漁業協同組合
行徳の漁師、福田武司の江戸前海苔
平成22年2月14日

 昨年の1月31日、福田さんから福田家の天日干しと機械乾燥のスサビノリの試食を依頼された。その時、木更津の金田漁協で40数年ぶりに再現されたアサクサノリの中で、最も美味であった井上通さんの機械乾燥のアサクサノリとの比較もし、その報告をしてから1年が経過していた。

今期のアサクサノリ生産はついに全員失敗の報告があった。
 今期の木更津金田漁協のアサクサノリ養殖は、金満智男さんと近藤博一さんが引退し、4人体制での挑戦であった。相変わらずの悪条件の中で、2人の失敗宣言が早々にあった。その中で、今まで最も成功例の多かった井上通さんと石川金衛さんの二人が、最後まで頑張っていったのだが、残念ながら最終的には、今期も含めて3年連続の全員失敗の状況になったらしい。
 では三番瀬最奥部にある行徳の福田さんのスサビノリは、今期どういう結果となっているのだろうか?
 大地を守る会の社内研究会である「小魚を食べる会」の企画による「江戸前海苔の天日干し作業の見学」の誘いがあり、渡りに船とばかりに申し込みをした。作業の指導は行徳の福田武司さんであった。
 気になっているところへの格好の企画の到来で、楽しみな参加となった。

行徳にて
 当日は穏やかな天日干し日和であった。福田さんによって行徳漁協、今はもう廃屋となっているのだが、一昔前に栄光を極めた海苔加工場。昔の漁師達は、海苔の仕事のない夏場には、ハス田で農作業をしていたという。その行徳特産のハス田の名残りも案内された。
 膨大な面積の田んぼはほとんど全て埋め尽くされ、宅地に変貌していた。海苔の天日干しが行われている頃に使用された道具類が町のあちこちで懐かしく、廃品利用されている現場も案内された。
 天日干し作業の後、昼食を兼ねての地元のすし屋さんでの飲み会。さらに駅前の居酒屋での三次会と、大地を守る会の社員の方々も元気で賑やかなことであった。

行徳漁業協同組合
組合員数・平均年齢
行徳漁協の登録正組合員は120名、実質稼動組合員は40名
主魚種…海苔養殖、アサリの腰巻き漁

 海苔養殖従事漁師は6事業体で12名。親子での従事者は4組で、親の平均65から70歳。最若手32歳1名を含め、若手の後継者は6名。昭和30年代には180事業体があった。激減で、数からすると風前の灯のように見えるが、中心となる平均年齢は意外と若いものであった。

漁業の種類…海苔養殖~一部は夏場にアサリ漁と底引き網漁もやる。
     …アサリ漁(腰巻き漁)~専門が多い。
     …底引き網漁~アクアライン方面までやる。
     …刺し網漁~マコガレイ・スズキ・他
     …遊魚船

福田武司の海苔養殖漁業者としての現状と誇り
本当に旨い海苔を造りたい
 栽培しているスサビノリは、「江戸前ちばのり」として行徳から富津市にかけての高級海苔ブランドの一つとなっている。
「現在の全国各地の共販で入札される海苔の評価は、「色・艶の見た目」と「手の感覚」のみで検査員が決めるもので、一番大切な旨さの評価基準が無視されている。高い値段の付く等級の高い海苔を作るために、海苔養殖業者の漁師達は皆、食べ物の本質として最も大切なこの「旨さ」を犠牲にしてしまっている。
「入札に出す海苔と自分達が家庭で食べる海苔は別なのだ」という。海苔は全自動の機械が導入され、大量生産が可能となってからは、「色・艶・香り・甘み・旨み・食い切りの柔らかさ・一定の重量のある厚さ」で評価されるのだが、特に色・艶の見た目と手の感覚と、1帖の重さとなる厚みが重要視されるようになった。
 しかし福田武司は、「薄く、穴が多いのだが、口当たりが軽く、甘みがあり、口溶けが良い海苔を旨い海苔として作っている。野鳥(特にカモ)による食い荒らしと、猫実川の海流変化の影響によって、生産量は年々減少しているのだが、秘伝の手作業の工程を一つ加えることによって、独自の旨い海苔を作り、さらに格安で販売もしている」と言う。

 江戸前の海苔養殖漁師の次男である福田武司は、漁船名の「福田丸」をブランド名にしてインターネット上でも販売している。40歳で脱サラ、兄と共同経営の漁師で、平均収入は600万円位。海苔栽培従事期は終わるまで休みが取れなくなる。昨年のお盆以来、今日まで一日も休み無し。
 先年、亡くなった父親は、海苔採取のための高速摘採船である、通称「潜水艦」を発明。その他、数々の海苔生産現場の作業軽減のため、便利な発明をして行ったのだが、それら全ての特許を取得せず、全国の海苔漁師の労力軽減のために、画期的な寄与をしていったのだった。
 その優れた漁師の次男でもある脱サラの漁師が、風前の灯にも見える行徳の海苔養殖漁師の世界を、どのように変革してゆくのか。
 現在の彼の収入は、自分で売った海苔の販売手数料のみだと言う。ということは、共販出荷、入札による価格決定の枠を破り、生産者である漁師と消費者が、インターネットを介してのように、直に結びつくような方法を積極的に考えていくことになるのだろう。この方法は、日本の漁業崩壊の最大原因である、漁師の所得水準の低さを解決していくために、今、最も注目されている有効なやり方なのだから。しかも海苔は鮮魚ではなく、加工品であるという点も有利に働いている。

海苔の栽培、生産加工
栽培日数
 50日から60日。9月の彼岸の頃に種付けをする。種付け業者は全国で100以上ある。漁師が選ぶ種の種類は、その年の収穫の命運を決するものとして真剣で、漁師それぞれの秘中のものとされる。1枚の海苔網の長さは20m。海に立てられる支柱は1,700本にもなる。

海苔の収穫

「手摘み」から「海苔ペット」、さらに「潜水艦方式」へと移行した。
「手摘み」…厳寒の海上での過酷な作業であった。一枚の網で約1時間かかった。
「海苔ペット」… 海苔網から成長した海苔を摘む機械で、電気掃除機様で、先端はカッターの付いた丸い円盤状となっている。収穫した海苔の長さが短くなる。一枚の網で10分ほど。昭和50年まで使用される。以後は潜水艦の発明により、使用されなくなった。
「潜水艦」…障害物競走の網くぐりの様に、海苔網の下に潜り込むスタイルの船で収穫するのだが、海苔の丈の裁断が長くなる。海苔ペットでは1枚の網の収穫に60分から90分かかる作業が1分から2分で収穫できる。画期的な機械であった。

海苔の裁断

海苔切り包丁→飛行機包丁→昭和40年頃より粉細機→自動切裁機
自動裁断機…3段階の長さに切ることが出来る。手作業では20mmから15mmに切断するのに30分要したものが、1秒から、厚いものでも5秒で可能となった。
荒く切裁……海苔の間に隙間が出来て見てくれが悪いが、海苔の旨みが出る。
細かく切裁…きちんと出来、見てくれが良いが、味が落ちる。海苔全体に隙間が出ず、裏に毛羽立ちが出る。検査員の評価が高くなり、入札で高価格を付けることになる。

 海苔は光に弱く、朝3時から種付けをする。11月から12月は日光が弱いので、旨い海苔が採れる。
 1月にはいると海の栄養塩が少なくなり栄養不足となるため、11月から12月に採ったものが旨い。2月に入ると日差しが強くなり、海苔の伸びが早くなり、緑色になってしまう。
 遅くなってから採れるものは硬くなっているので細かく切断することになる。

海苔の漉き方
 漉いた海苔は、新海苔の時にはクサに膨らみがあるために水切れが悪いが、2番3番と硬くなるに水切れが良くなってゆく。
 薄いほうが旨い。新海苔は薄く漉くと旨い。
 自家消費の海苔は荒く裁断し、共販出荷の海苔は細かく裁断する。
 共販での入札で最も評価される基準は、「色・艶・隙穴の有無」の見てくれ重視となるため、その基準に合わせたものを出荷する。

全自動海苔製造装置機導入
 零細家内生産であった海苔生産は、機械導入によって、中小企業並みの生産量を上げることが出来るようになったが、海苔養殖者は減少していった。老齢化と後継者難、さらに設備投資があまりにも過大となってしまったからだ。
 生産量は飛躍的に増えたのだが、海苔1枚の価格は30年変わっていない。資材・労力軽減のための機械は、物価の上昇と共に高騰し、船、機械その他の機材全てを揃えると1億円近くの金額が掛り、月に数10万から数100万円の過重な支払いになるため、新規の海苔漁師増加の大きな足かせとなっている。海苔は儲からない時代となってしまったのだ。
 福田さん一家も海苔の生産だけでは食べられず、その年の海苔の生産量から勘案して、アサリ漁を何回すればよいかを考えるという。膨大な機械購入費の支払いのために、生産利益を持っていかれている。しかも、大量生産による生産量の画期的な増大は、海苔価格の長期安定、さらには低下減少までももたらし、海苔生産漁師を困窮化させている。
 福田さんのお母さんの実家は、長年、天日乾燥の海苔を生産し続けた船橋市海神の「滝口喜一」の直ぐそばだったという。
「海苔漁師の娘は、仕事が過酷であるのを身もって体験しているから、皆、海苔漁師以外のところへ嫁に行ったのだが、わたしは行徳の海苔漁師のところへと嫁いできたので、周りからなんで? と不思議がられた。機械化されない頃の、走り回っていた昔のほうが、海苔の値段は高く、収入が安定していた」と言う。

天日干し
 晴天の日でも干しに6時間掛かる。雨は全く駄目。風も全く駄目。曇り、途中からの曇りも駄目で二等級品となってしまう。干す手間と品質が天気に左右されるために大量生産には向かず、昭和44年に加工機械導入が始まると、機械乾燥に完全に取って代わられてしまった。

行徳の海苔の旨み
 行徳の海苔は塩分濃度が低いために青海苔が入らず、有明海ものよりも、アミノ酸の含有率が多いという。
 昨年の資料で、行徳1月20日前後のたんぱく質含有率46%から50%。有明海では2月12日前後で30%から44%となっている。

平均入札価格
 共販での入札価格は平均で1枚8円から9円。10枚の1帖で80円から90円。手数料に5円。これでは漁師の儲けが残らない。
 木更津の金田漁協のように、漁協で全自動機械を購入し、全組合員の海苔を一括処理する合理的な方法もあるが、組合員が多く、順番が遅くなると時間の経過と共に品質が悪くなる恐れがあるという。海苔の品質は時間との勝負となる。

塩素殺菌による被害
 千葉県が、下水道処理に塩素殺菌を使用したことによる、海苔の色落ちの変質被害に対して、最近まで、毎年1事業体に、年間組合費相当の70万円の保証金が、県から行徳に支払われていた。下水道の塩素処理による漁業被害に対して明確なデーターはあるのだろうか? 僕が接触してきた全国のほとんど全ての漁師達が、影響被害を言っているのに、行政、研究所等から塩素処理による、海洋生態系に対する影響データーが見当たらないのは、どういう事なのだろうか?

汚染と海況の悪化
 昭和30年中頃から、デズニーランドの開業によって河川汚染が増加して行った。生活排水と工場排水による汚染が始まり、潮の流れ、風の通りの変化による赤潮、青潮が発生に見るような、海況が悪化し、栄養塩が減少するようになった。

干潟の喪失
沖合いを20m浚渫し、浅場の干潟を埋めるという干潟の二重の喪失を招いた。


2月14日、水温8度から9度。最低3度になる。

平成21年、福田武司の初摘み海苔
 福田さんの住まいの隣にある海苔加工場の片隅に、海苔の直売所が設けられている。地元の人が朝採れの生海苔を、酢の物にして酒の肴にするのだと言って買っていった。僕も今期の新海苔を土産に購入した。

「行徳三番瀬産 手入れ・新海苔  初摘み海苔」
生産日   平成21年11月27日
焼き加工日 平成21年12月下旬
摘採回数  1回目
特徴    今年度最初に摘んだ海苔です
「手入れ海苔」とも呼ばれる初摘みの海苔は海苔の中でも最上級とされる1番摘みの新海苔です
甘み・色艶・香り・柔らかさをご堪能ください。

 この海苔は少し厚めに漉いてあり、焼き海苔となっている。いかにも新海苔らしく柔らかく、軽く口中に溶けていく。色艶は、有明産ほどには黒々と照り輝いたものではないが、鉄火巻にして食すと、咀嚼の中で、ゆっくりと口中に広がっていくのは、微かな香りと極く微妙に感じられる塩みと共に、強い旨みであった。
 この旨みの強さは有明海産の最高級品にも見られない、独自のものとなっている。アミノ酸の含有率の差が出ているのだろう。そして通常の加工過程の中に、独自の一手間を入れることによって、さらに甘み旨みが強調されているのだという。しかし、行徳の海苔の旨さを言う彼の説明からしても、少し漉きが厚いのではないだろうか。厚さが少し邪魔になるようだ。
厚さに対する福田さんの回答
 11月27日は8ヶ月ぶりの海苔漉き加工と、今期初めて、新しい品種の種苗を使ったため少し厚めになった。
 2番クサは薄めに漉いたのだが、旨みが少し落ちているようだった。

金満智男さんのHPより
千葉県海苔養殖の概略史
大正初期  
→アサクサノリ時代

昭和26年 ドウルー女史、アマノリのライフサイクル解明
昭和28年 長浦干拓工事開始
昭和29年 熊本県にて野外人工採苗試験始まる
昭和34年 野外人工採苗の普及
昭和35年 「ちばのり」11.9億枚・全国1位の生産枚数(平成20年「ちばのり」3.4億枚・全国7位)
昭和37年 室内人工採苗(陸上採苗)始まる
昭和39年 奈良輪の和田氏による「ナラワスサビノリ」発見
→アサクサノリ終焉
昭和40年 愛知県からの研究発表後、冷凍網試験始まる
昭和43年 沖合いべた流し柵試験始まる
→本格的にスサビノリ時代となる

昭和44年、海苔加工機械導入始まる。
→天日干しからの移行
昭和46年 ナラワスサビ選抜、養殖品種に指定
昭和49年 袖ヶ浦(奈良輪)地区最後の漁業共同組合解散 
昭和52年、全自動製造装置導入始まる。
→大量生産時代に移行

昭和52年 行徳漁協が高速摘採船を試作試験
昭和59年 製造工程も共同化を天羽漁協湊支部で開始
平成01年 富津漁協が高速摘採船を普及
平成04年 陸上採苗再導入普及
平成12年 異物除去機を製造工程に一斉導入

平成22年3月7日

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