このサイトは主に長山一夫の著書、仕入覚書を掲載するものです。
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干瓢(カンピョウ)
松本商店行
栃木県河内郡上三川(かみのかわ)町  平成17年7月18日

江戸前すしと干瓢
 干瓢をもどす時には、強くしっかりと塩もみをすることによって弾力を出させ、さらにしっかりと水洗いをすることによって二酸化イオウを完全に取り除くことが出来る。そして手の爪が軽く食い込む位に白煮をする。水分を絞り、醤油と砂糖で甘めの濃い味に煮含める。少し歯応えを残した干瓢を巻いた海苔巻は江戸の味覚であり、握り鮨の最後に食す巻物として、安らぎと充足感を与えてくれるものとなる。海苔とシャリとの相性にも優れ、保存性もあり、干瓢巻は遠足、運動会等の催事の定番であった。江戸前のすし屋で、単に「海苔巻」と言えば、「干瓢巻」を指す。江戸時代には干瓢だけが唯一、海苔巻の具として用いられていた名残だと言われる。干瓢のことを、産地名から「木津」とも称する。また細巻に巻かれた姿が鉄砲に見えることから「鉄砲巻」とも言われ、味付けされた干瓢巻は、店の職人の技量が推測されるとまで言われる。
松本商店との出会い

 平成15年の冷害による農作物の被害は、すし屋が使用する食材にも大きな影響を及ぼした。その中でも巻物に使われる干瓢の品質の悪化には殊更に酷いものがあった。
 1本の干瓢の片側が煮とろけながらも反対側がまだ固いという煮むらの発生するもの。長時間煮ても柔らかくならず、煮汁を吸い込まない不届きなもの。すぐにトロトロに煮崩れてしまうもの。築地市場でもすし屋等からの多大なクレームの発生に対して、乾物問屋の長年のプロ達も手の打ち様がない有様であった。最高級品も含めて全ての干瓢に悪影響が出てしまっていたのだ。ほとほと途方に暮れている時、以前より当店のお客様である松本清氏の実家が栃木県で干瓢の卸問屋をしていることを思い出し、助けを求めたのだった。

 実家から手当てされた干瓢は、巾の広い肉厚の素晴らしいものであった。白色も美しく、煮崩れせず、しっかりと歯応えのある一等級品であった。冷害の被害は予想以上で、干瓢の生産量は激減し、最高級品の干瓢の選別がほぼ不可能な状況なのだと言う。後日、干瓢のプロである松本さんのお父さんの武男氏とお兄さんの敏夫氏が来店した際に、来年の7月、干瓢の収穫時期に見学に伺うことを約したのだったが、今回の訪問はその1年遅れでの見学行であった。
午前4時30分、宇都宮駅東口、餃子の像の前にて待ち合わせをする。
 農家での干瓢の作業は早朝の3時頃から始まり、午前6時頃には終了すると言う。干瓢の剥きから乾燥と燻蒸の一部始終までを見学させてもらえることになった。

干瓢の加工
 4時50分、松本清さんの運転のもと、お兄さんの敏夫さんと3人で、干瓢の生産加工農家である海老原さん宅に到着。本日は敏夫さんが一切合切仕切ってくださることになった。ご主人はもう内庭の仕事場で、夕顔の果実の1種である白瓢(しろふくべ)の剥きの真っ最中であった。その隣で奥さんが剥き上がったものを点検しながら干しの作業をしていた。干瓢の仕事はご夫婦二人の分業仕事となっているのだ。

加工工程

(1)前日の夕方に、畑で地生りの夕顔の果実を収穫し、作業場に用意しておく。
(2)朝3時から旦那さんが轆轤(ロクロ)を使用し、夕顔の果肉を剥いてゆく。傍らで奥さんが、細く長く剥かれた干瓢を竿に掛け、長さを揃えながら付着している種の除去などの品質の点検をしてゆく。切り端は別途加工することになる。昔は1日300ヶ、昼近くまで掛かったが、今は100ヶほど。朝の6時頃には剥きと乾燥のための作業は全て終る。1ヶの果実から200gの干瓢が出来る。だから2k詰袋のものは10ヶの加工となる。卸値平均k2,800円、単純計算をすると、1日計56,000円。5月から9月の上旬頃までの4ヶ月半ほどの仕事となる。働き者のご夫婦は、農閑期には他に出稼ぎに行くという。
(3)検竿の長さ90センチ、剥きたての干瓢は竿の左右に垂れ下げるために、その2倍の180センチの長さに揃える。巾は意外に広く、3.5センチ。乾燥後には2分の1の巾に縮まる。厚さは各農家の仕様によって多少の格差がある。海老原さんの干瓢はしっかりと厚く、煮上がりも煮崩れせず、歯応えのあることを特長としている。
(4)庭の仕事場に吊るした干瓢を、地面からの湿気と干瓢の汚れ防止のために藁(ワラ)を敷き詰めてあるビニールハウス内の干し場に移し、夕方までに乾燥する。昔は太陽の下、直射日光で乾燥させたのだが、今ではビニールハウスの中で乾燥させる。ハウスの裾を捲くり上げ、風通しを良くしての乾燥だ。梅雨時の急な雨降りに対応するためなのだが、天日の下での乾燥が理想的となる。雨の日は最初から作業中止で、乾燥途中での雨降りの時はハウスの中で、熱風乾燥機によって乾燥する。
(5)乾燥の終った干瓢を燻蒸用のビニールハウスに移し二酸化イオウを燃やし、夕方から一晩燻蒸する。漂白と防虫、防黴(かび)を目的とする。二酸化イオウには表面を固める作用があり、干瓢にコクが出ると言われる。燻蒸用のハウスの中には、一晩燻蒸された干瓢がまだ竹竿に掛けたままだったが、二酸化イオウ臭が強く立ち込め、思わずむせ返ってしまった。家庭用のフライパンにイオウの燃えカスが残っていた。
(6)燻蒸すると干瓢に湿気をあたえてしまうために、翌日、天日の下で再度地干しをすることにより、水分を23%以内に除去し、加工が完成する。

◎ 夕方に収穫された果実は、翌朝一番に加工されるのだが、雨が続き、翌日に持ち越されると果肉が水っぽくなり、色が悪く赤みを差し、竿跡の変色と臭みも出てしまい、品質の低下をもたらすことになる。
干瓢の加工時期と品質
一番玉……6月の下旬から7月の上旬のもので、まだアクが強く色が黒っぽくあがる。
二番玉……7月中旬から8月のお盆頃までで、色も白く、味も良い。最高級品となる。
末剥き玉…9月15日頃まで、秋風と共に果肉が固くなり、品質が落ちてゆく。

夕顔の果実の種類
白瓢(しろふくべ)……果実が丸く、果肉は柔らかく、旨みがある。
青瓢(あおふくべ)……果実が縦長で種が少なく剥きやすい。病気にも強いが果肉が固く、旨みが薄い。
 白瓢と青瓢の区別は干瓢に加工されると見た目では識別出来ず、等級にも影響されないため、栽培は農家各自の好みに左右される。
◎夕顔の花には雄花と雌花があり、受粉の花合わせの後、20日間前後で7k程の大きさに成長する。夕顔の裏作には白菜が栽培されることが多いという。

品質の欠陥品
 色が悪く、煮崩れ、ムラ煮してしまうもの、いつまで煮ても固くて煮含まないものは欠陥品で2等級、3等級品となる。天候、生産時期、瓢(ふくべ)の部位、加工方法等にの原因によって生じる。
◎瓢(ふくべ)は、太陽の当る上部の果肉は固くなるため、1本の干瓢の両サイドで、煮上がりの固さの異なるものが発生することがある。

生蒸し(なまむし)……(生産農家の裏切り)
 乾燥のゆるい生干しの状態で燻蒸すると、色が白く綺麗で、縮みが出ず、見てくれの良い干瓢となるのだが、二酸化イオウが内部にまで浸透し、煮ても柔らかくなりにくく、味も染み込みにくくなり、生産者としてはやってはいけない確信犯的な欠陥品となる。製品加工された後では判断しにくく、問屋としては、各農家の加工方法を熟知し、誠実な農家のものを選別することが重要となる。

中国産と国内産
 20年前頃に中国からの輸入が始まり、15年前頃にはさらに増産され本格的になった。今では流通の90%に上るほどになっている。
 国内もの干瓢生産の最盛期は昭和52年頃で、5,000トン余。最近では1割弱の350トンに落ちてしまっている。栃木県(上三川・国分寺・小山・石橋・宇都宮・壬生)の生産量が90%となり、茨城県(結城)が10%となる。
 栃木県では日産自動車工場、ホンダ等の生産工場の進出と共に、農業従事人口の流出が著しくなり、農家は老齢化していった。早朝労働が若者には厳しいのだと言う。

 中国製の干瓢は、国産生産量の激減を補うような状態のもとに輸入され、増産されていった。中国製も品質的にはかなり向上して来ているのだが、品質の選別が悪く、用途別の選別は日本の問屋さんの重要な仕事となっている。
 農水省の指導による産地、品質表示、使用薬品等の表示はまだなされておらず、実施は来年度の平成18年2月からとなる。
◎夕顔は印度原産で東南アジアを経て韓国に渡り、日本に伝来されたと言われる。干瓢は日本独自の加工品で、昔から箱根を越えた西側に80%以上流通してゆくと言われるが、現在も全く同じ消費パターンを示している。

相場
 干瓢の生産加工の終る9月頃には農家と問屋の相対取引で相場が決まり、10月頃になると本相場が決まる。干瓢の相場の変動は激しく、かっては天候に簡単に左右され、2倍から3倍の高騰・下落が見られたが、最近では高値安定で、変動の差がなくなっている。
 築地での相場は、1袋2k詰めで4,200円から9,500円、中国産はその半値位になる。

等級の選別
 栃木県干瓢商業協同組合に参加する問屋が集まり、目揃え会でその年の等級選別基準を決める。各自問屋の自己検査となるが、組合から認定された印鑑を押すことによって、品質の保証をする。
特等級……巾が均等に揃い、筋、種、瘤等がほぼ100%近く無い物。
一等級……筋、種が多少混入している物。寿司用
並…………選別がゆるく、雨続きのために、竿の染み等がついてしまった物等。
二等級……長さ、巾の不揃いな物。
鶴…………一等品から選別して抜いた物

干瓢に対する嗜好と評価の変化
 最近のすし屋は薄くて細い干瓢を好み、幅広で厚みのある干瓢の人気が低くなっている。煮易く、巻き易いからだろう。海老原さんの生産加工する干瓢で、松本さん経由で春美鮨が使用している幅広肉厚のものはすっかり敬遠され始めていると言う。海老原さんの特等級の干瓢は、白煮の後に巾を2等分することによって海苔巻の具としてちょうど良い巾と成り、味付けの後に心地良い歯応えが残る。
 切り端の干瓢は関西での太巻きの原として使用される。椎茸と共に微塵に切り刻まれて使用されるため、安価でお徳用になるわけだ。近年の江戸前鮨の世界では、魅力的な巻物が新たに多数登場したために、伝統的で変化の無い干瓢巻が飽きられ、割りを食うはめになった。消費量が激減してしまったのだが、最近の「仕事のしてある鮨」ブームの中で再認識され始め、干瓢を食べるお客さんがまた増え始めている。健康食ブームに乗って、繊維質の多い食品として注目されるようになってきている。

今年の干瓢生産の状況
 6月上旬の降雨量の僅少さもその後の雨で補われ、天候的には何ら問題の無い状況なのだが、無農薬栽培のためにモザイク病の発生があったらしく、海老原さんの畑では、瓢(ふくべ)の収穫が半分ほどになってしまっている。不作年となる可能性もあるが、最近の高値安定相場の中では、もうこれ以上の高値は望めないだろうと言われる。昔は農家と問屋の間を取り持つ中卸しが多数存在したのだが、生産量の激減と共に消滅してしまった。
干瓢生産加工農家の将来。

 栃木県の専業農家は全体の10%程で、イチゴ・花卉のハウス栽培農家が増えている。干瓢加工の見学の後、松本敏夫さんの案内で、小山・国分寺・上三川・坂上地帯の夕顔畑を車で点検して行った。敏夫さんにとっても久し振りの点検とのことだったのだが、廃業しまった畑があまりにも多かったのに驚かされていた。あちこちで目撃されたモザイク病によるらしい葉の枯れ具合を心配していた。

「労働力の不足と老齢化。早朝からの作業の厳しさ。最低2人の協同作業が要求されること。」等による生産量の減少を食い止めるために、石橋町では町と農協と干瓢組合の協力により、今年初めて分業生産加工の実験を始めた。
(1)瓢(ふくべ)を作る農家。(2)剥きをする農家。(3)乾燥加工を専門にする農家。
 成功するとことを祈っています。

平成17年7月27日

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